「意志ある学び」を叶えるプロジェクト学習や対話コーチング、ポートフォリオ。…創造性のある未来をかなえる哲学など未来教育の知的活動や新しい情報をお伝えします。http://www.suzuki-toshie.net/
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■ パッと見てわかるプロジェクト学習
■ 「探究とプロジェクト学習」vol.3
■ 【12月6日(金)】お知らせ/講演
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■ パッと見てわかるプロジェクト学習
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■ 「探究とプロジェクト学習」 vol.3
◆ 探究型学習の「課題」の設定について
「自分が探究する課題を設定しましょう」や「探究のテーマを書いて出してください」と
いうだけではなかなか学生たちは決められないものです。
だからと言って、書けない人へ「とりあえず書いて出すように」はもちろんいけません、
教育のシーンで「とりあえず」という言葉は禁句です。あとで変更したいやおざなりの気持ち
での学習となりますから。
◆ その「探究」は、誰のため?
1)探究とは、知識を論証すること
2)探究とは、疑問を解消・解決すること
3)探究とは、問題(課題)解決をすることという目的のある思考過程のこと
1)や2)は「自分が知りたいこと」「自分が疑問に思うもの」というとらえることもできま
す。3)の「問題解決をすることという目的のある思考過程のこと」に関しては、自分の問題
もあるかもしれませんが、課題を抱えている他者の状況や社会や地域の問題、課題ととらえる
ことができます。プロジェクト学習として社会の現実と向かいあう視点で展開できます。
◆「探究」は、関心から現実の課題へ…
私が提唱しているプロジェクト学習は、目の前の現実を見て、そこにある「課題」を解決しつつゴールへ向かうものです。
そこには目の前の対象が持つ課題、その背景にある社会的な課題、そして自分自身が自分ごと
として大事にしたい課題と3つの側面があります。
[イメージパネル]
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ビジネスモデルを習って成功する時代はとうに終えています。一つの高校で「探究」とい
う言葉で優秀な成果をあげたとしても、様々な状況にあるすべての学校でその環境や仕組
みのないまま展開すること自体にムリがあるのではないでしょうか。
その中、現場の先生方のご質問に応える目的で「探究(型学習)」について、連載しています。
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■【12月6日(金)】講演/ライフポートフォリオ
「意志ある学びープロジェクト学習」についての講演とプロジェクト学習の実践「健康プロ
ジェクト」を学生たちがプレゼンテーションします。
ぜひ公開プレゼンテーションへご参加ください。
<情報・申込>
↓↓
http://suzuki-toshie.net/news/2631/
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■ 新刊情報
とてもわかりやすい未来教育のプラットフォームとして人気です!
『次世代の教育者・指導者のテキスト ポートフォリオで未来の教育』
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「主体性の評価」が進路に影響すると知ったら、無意識に先生に見えるように主体的に動くなきっと、高校生の私なら。今なら「自分に嘘ついてふるまうと世界から色彩が消えるよ、toshi」ってそのときの自分に教えてあげるな‥
知識やスキルの習得の評価であれば本人の役に立つ、ここが理解できてここがまだ自分のものになっていないなど。しかし概ね 主体性、、意欲関心を評価されても、それは人間の根元、内的なもの。意欲や関心を人に、例えば自分の担任が自分より深く考えて生きていないないように感じれば、その人に自分の意欲や関心を見やすいようにしたくない状況もある。
私がなぜあまり主体性、主体的という言葉を使わないのか。主体性、主体的はとても価値あることですが、一般的に、自分自身で「主体的になりたい」というような言い方はしないからです。どこか教育的な”上から感”を感じるからです、
本来の意味は、主体的=「まわりから情報を得て、必要と思ったら自分から動く」それは、まさしく内発的なもの、内発的なものは、教師や指導者が希望してそうやすやすできるものではない。
概ね「主体性、主体的」という言葉は教師や指導者が使うものであり、学習者や若者たち自身が使うことはまずない。
「一々言わなくても、こちらの期待するように動いてね」という、無意識のニュアンスがどこかにある。
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■ Essay:評価よバイバイ
■ 「探究とプロジェクト学習」 vol.2
■【12月6日(金)】お知らせ/ライフポートフォリオ
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■ Essay:評価よバイバイ
学校にはすごく感謝しています、でも同じ年齢で、お菓子が並んだ箱みたいにきっちり座り、
みんなとずれないように音読したり、みんなみたいにお手本通りできないと、浮く。
みんなと比べて私って変?みんなからどう見られている?って自分を見る自分をそこで覚えたかもしれない。
そこでは「みんなはどうかな」「さあ みんな!」ってたくさん「みんな」って言うから、
みんなという他者と照らし合わせて自分を見ることが知らず身についたのかもしれない。
確かにみんなからいいね!って評価されると嬉しいけど‥
でも大人になり人の目を考える余裕なく必死に仕事して、もっと大事な評価があることに気がついた。
尽きるところ価値を持つのは、手を抜いて生きてないか、と自分を見る自己評価だと。
[イメージパネル]評価よバイバイ
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■ 「探究とプロジェクト学習」vol.2
◆ それは何? 何のためにやるの?
わからないまま「これ食べなさい」と言われても口に入れることは出来ません。
それは何? 何のためにやるの? ここをゴックンと理解、納得できないと、人は自分から向かうことは出来ません。
言葉は大切です、その言葉で頭の中に世界観が広がるのですから。
国語、数学、科学、体育等々‥この言葉は、自分が生きるために必要だなってわかります。
そしてこれらをバラバラでやるのではなくて総合的に学ぶ方が現実的だなって誰でも思います
から「総合的な学習」って社会で生きるために要るな、と納得です。
でも「総合的な探究の時間」「探究」はどうでしょうか、大人たちは「学習指導要領の改訂」
で取り組むとなりますが‥学生たちはこの言葉だけでは何をするのかピンとこないので、その
ままでは“主体的に”望めません。
[参考]どうしたら主体的になるか/意志ある学びになるか
http://suzuki-toshie.net/mm-images/mm30.jpg
◆ 「探究の課題を決めましょう」と言われても‥
ー「総合的な探究の時間」では、生徒が主体的に課題を設定し、情報の収集や整理・分析をし
てまとめるーと学習指導要領の改訂にあります。教科や科目の枠を超えて総合的に探究した
いものを自分で決めるのですから結構楽しくワクワクする子もいますが、何をどう決めたら
いいのか全く動けない子も結構多くいます。
学校で取り組むときには、その「課題」設定が先生たちにとっていちばん悩ましいものである
ことは、以前からある「総合的な学習の時間」となんら変わりません。
[参考]著書「これじゃいけなかったの!?総合的な学習」
https://www.amazon.co.jp/dp/4054016472
◆ どんな探究か?で変わる「課題設定」
1)探究とは、知識を論証すること
2)探究とは、疑問を解消・解決すること
3)探究とは、問題解決をすることという目的のある思考過程のこと
自分たちが向かう「探究」が 上の1)なのか2)なのかそれとも3)なのか?
それとも3)に1)、2)を織り込みながら展開するものなのか‥‥
1)、2)価値あることですが、一歩間違えると、ただ調べてまとめて発表する「調べ学習」
的な展開になります。また大概のことはインターネット上にありますから、ごく“一般的な
オチ”になってしまいます。
さらに小学校や中学校で似たようなことを「総合的な学習の時間」でやってきていることも
多く、同じようなことを高校でもするのでは、そこで学生が真に成長することはありません。
次号、「探究とプロジェクト学習」vol.3に続きます。
■【12月6日(金)】講演/ライフポートフォリオ
キャリア教育、キャリアを自分で築いて行く‥その本質であり根元は決して仕事を調べたり、
理想的な夢をはるか描くことでもなく、まずは自分で自分をコントロールできる意識と言えま
す。その基本は自分の健康を保つために、自分の生活を自分でより正しくマネージメントでき
る!という意志と言えます。ここにライフ(健康・生活)ポートフォリオが活きます。
12月6日(金) 学生たちがプレゼンテーションするのは、自分の健康(生活)は自分でより良く
する、エビデンスをしっかり添えて学びを進めています。
ぜひ公開プレゼンテーションへご参加ください。
<情報・申込>
↓↓
http://suzuki-toshie.net/news/2631/
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「資質・能力」をどうして一緒にするの?全然違うのに。資質はもって生まれたもの、才や天性‥。資質能力 の育成って表現?です。皆一緒空気や一斉進捗教育で資質に蓋しない方が先。多少モンダイありでも私の資質は親か神様がくれたオリジナルで生きろっていう恵みかも知れないし。
◆ 何のためにやるの? その「ねらい」と「価値」を教えて‥
「生徒が主体的に課題を設定し‥」と学習指導要領に山ほど書いてある、でも人はどういうときに主体的になるのか=どうしたら意志ある学びになるのか‥ここがすべての要。
◆ 主体性/意志ある学び のために
まず何のためか「ねらい」と「価値」を子どもたちへ伝えよう、そして「目標=ゴール」を書いてからスタートしよう
◆ 広がった‥「目標」から授業をスタートさせる
ー 生徒が主体的に課題を設定し、情報の収集や整理・分析をしてまとめるー この「課題設定」が先生たちにとっていちばん悩ましいものであることは、以前からある「総合的な学習の時間」となんら変わらない。
2002年『これじゃいけなかったの!?総合的な学習―これが成功戦略!ポートフォリオ評価・プロジェクト学習』という本を学研から出版、日本中講演もした。
◆プロジェクトとは「目的や目標」を明確にして向かうもの、意志ある学びにするために 授業も、「目標:ゴール」を書いてからスタートさせましょうと提唱、17年前に書いた本、今読んでも普遍、本質。
「目標」を書いてから授業をスタートする、いまこのことが、広がっています。
著作「総合的な学習」【未来教育プロジェクト学習 】2002年
https://amzn.to/2qIhYhZ
◆ 建築という無から有を生む、目標へ向かう、本質的なプロジェクトを経験していることが芯にある
建築は「目標」をきっちり描き、そのゴールを全員で共有してスタートする。「ねらい」「価値」を知り、ミッション感じてスタートする、この建築の哲学=未来教育プロジェクト学習。
(新刊1章原稿より)
心を前向きにハピネスな人がよい業績で仕事する(ざっくりで恐縮)が 長年の行動分析データで見える、 知的おもしろ本です書籍「データの見えざる手」。著者、矢野和男さん、未来教育全国大会でゲストのときも、高校生たちへも笑顔で接してくれました!ありがとうございます。本当に魅力的な方です。おすすめ本 → https://amzn.to/2Oz4Wey .
11/15 ニュースリリース 日立
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2019/11/1115.pdf
ゲスト矢野和男さん
[意志ある学びー未来教育全国大会]
http://www.toshie-suzuki.net/18zenkoku/top.html
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■ 新人が「自分の考えを言えない」わけ
■ 「探究とプロジェクト学習」 vol.1
■【12月6日(金)】お知らせ/講演と学生の公開プレゼン
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■ 新人が「自分の考えを言えない」わけ
私は学生へも新人へも新人指導者へも話す機会を持ちます。新人指導者は新人に対し「もっと
自ら発言して欲しい」といいます。
なぜ新人は話せないか‥
目立つことをためらうなど、その理由はいろいろでしょうが、「まわりが何を話しているのか
わからない」から話せないということがあります。
建築科のある学校を出て建設会社設計部へ入った新人のとき、私もまわりが話している言葉が
さっぱりわかりませんでした。
「あなたの考えは?」と問われても話すことができません。そこで交わされている言葉が
知っている言葉なのにわからないのです、なので考えの持ちようがないのです、当然、話せません。
社会で生きていくために学校でいろいろ学びます。
ですから社会でも学校でも使う言葉はなるべく同じ意味やイメージを備えているといいと思います。
しかし現実にはギャップがあるようです。
■ 「探究とプロジェクト学習」vol.1
◆ 学校と社会では「言葉」にギャップがある‥
同じ言葉でも学校と社会では、その意味する世界(概念)が違うものがあります。だから
学校にいる先生は困りませんが、生徒たちは、学校を卒業して社会に出て新人になった時に
キョトンとなることがあるのです。
言葉には意味があるだけではなく、その言葉を使うとき頭の中に浮かぶイメージ、世界観が
あります。その言葉を使いながら映像やイメージが頭に浮かびます、「柿の実」と言えば相手
にも自分とほぼ同じものが浮かびます。
でも「課題」や「探究」や「総合」という言葉はどうでしょうか?
◆ 「総合的な探究」とは?
例えば「総合的な学習の時間」、これは文字通り、教育関係者もそうでない人たちにもわかり
やすい表現です。
「総合的な探究の時間」これは、学校関係者にしかピンときません。
なぜ「探究」が「高等学校学習指導要領」に登場したかについては、多くの教育関係者は知るところです。
[参考]高等学校学習指導要領
https://bit.ly/2Oc9mcu
いずれにしても「総合的な探究」という表現は通常、社会では使いませんので先生たちはその
意味するところを高校生たちに説明することとなります。
一方、「探究」という言葉は、好奇心、探究心などちょっとワクワクする感じで教育関係者
ではなくても私たちは特別感なく使います。辞書には次のような解釈がほぼ書かれています。
◆ 探究とは‥
対象と自分からなるもの、物事の本質などを探って見きわめようとすること。
1)探究とは、知識を論証すること
2)探究とは、疑問を解消・解決すること
3)探究とは、問題解決をすることという目的のある思考過程のこと
学習者たちの主体性(?)を尊重するために、課題を与えるのではなく、自分たちで課題を
設定することが大事ということで、先生は「探究の課題を設定しましょう」と言います。
そのとき、上の1)なのか2)なのかそれとも3)なのか?
「探究」、この言葉の意味やイメージするところが先生や生徒の間で明確なのか、ここが要
です。
次号、「探究とプロジェクト学習」vol.2に続きます。
■ 【12月6日(金)】お知らせ/講演と学生の公開プレゼン
未来教育プロジェクト学習を実践した学生たちの公開プレゼンテーションを行います。
鈴木敏恵も講演します。
このプロジェクト学習は学校種別を問わず学生たちの自律(自ら生活改善)に有効で役立つものです。
自分の人生を自分の意志で開くキャリア教育デザインです。
看護教育スタートとして1年生がその成果をライフポートフォリオと合わせてプレゼンテ
ーションします。
中学校、高校、大学などでもキャリア教育のスタートとして実践することで、自立、自律を叶えます。
<情報・申込>
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http://suzuki-toshie.net/news/2631/
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■ 新刊情報
とてもわかりやすい未来教育のプラットフォームとして人気です!
『次世代の教育者・指導者のテキスト ポートフォリオで未来の教育』
https://amzn.to/31V1q38
http://www.toshie-suzuki.net/knowledge/index.html
ポートフォリオ キーワード集 by 鈴木敏恵
■ 評価とは?
・その子を伸ばすためのもの
・こうすればもっとよくなるということがその子自身に見えるもの
・「到達点までどのくらい、」ということが明確に分かるもの
・やる気をひきだす、励ましのエナジー。
・これまでの評価---「結果からマイナスを探し出し数える」
・ポートフォリオ評価--「プロセスからプラスを見い出すもの」
■ ポートフォリオとは?
・学習歴/活動歴/作品歴/実績歴などが、その人自身の意志と
センスで一元化されたもの。
・「知の成長」のプロセス
・その人の個性、受賞、資格、能力、スキル、才能、特徴、持ち味
・コアコンピタンス...を伝えることができるもの
■ 元ポートフォリオとは?
・学習のプロセスを何でもかんでも時系列でいれたもの
・一元化したもの、そのプロセス全体の「俯瞰機能」をもつもの
■「再構築」=知の凝縮
・「情報の収集」と「判断」を同時にしない!
・思考技術・知の構築・相互の関係
・情報の厳選、淘汰
・推論、仮説、直感
・洞察力、深い思考
・ひとつひとつの意味
・重要なことはなんなのか!
・真理の発見
■ 再構築のKey
・テーマ、コンセプト、
・何を伝えたいのか!重要な事は!
■「元ポートフォリオ」で = 学び全体を俯瞰する=成長プロセスが見える
■「凝縮ポートフォリオ」で = 身についた力、センス、感性が見える
■「 eポートフォリオ デジタルポートフォリオ」
・完全な「元ポートフォリオ」には向かない
・「凝縮ポートフォリオ」に適している
・ネットワークで「知の共有」「思考共有」
・「共有」から「進化」へ
■ポートフォリオの本質 ・ナレッジマネージメント
■ポートフォリオの活用 ・対話/文章化/再構築/プレゼン
高大接続eポートフォリオ‥現状であるなら、人間にとって一番大事な感性や自尊感情が失われる可能性もある。
自分を大事に思えない人が自分の心身、健康や明日への学びに意欲を持てることはない。若者たちが自分で命をたつことがこんなに多いという事実をさておき学力がとか資質能力とか、コンピテンシーとか‥はじまらない。少なくともパーソナルポートフォリオを作ることは自尊感情を高めます。‥‥そこには自分が入っている、ポートフォリオを見ることは自分を見ること。『人は見るものを愛する』という 生きるための本能のようなものを内在させているから
高大接続eポートフォリオ‥‥「ボランティア」「部活」「留学」などへの点数化‥‥ 家の事情で「ボランティア」も「部活」も「留学」なんて到底できない子はたくさんいる。家で身近な家族の力になっていること。毎日毎日、窓のそばの花鉢へそっと水あげている子、ここが見えるポートフォリオを。先生が見たら、そのこともポートフォリオへとその花の写真をポートフォリオへ。高大接続eポートフォリオとしては、まったく効果なくても‥‥先生が見ててくれた、花が咲いた、だけでもきっとうれしいこと。 『人は見ててもらうだけでも、幸せな心になり、明日を生きようと力が湧く』ここにこそポートフォリオ。
だから学校の中で、何かをつくったり生み出す経験が意味あるんだ。
「俯瞰」「客観」「目的思考」ができる人になるために‥
誰かがつくったものつかうだけじゃ、その奥にある価値あるものを見える視力が宿らない。 ツールよ便利だけどいっとき思い切ってバイバイかな
何より、つくるは「人間の知性+本能=ワクワク」で楽しいしね
■ ビジネスモデルにならう時代はとっくに終えている
この国の教育は、この20年間、未来へ向かい進化したと言えるのでしょうか‥‥インターネットが社会に入り込んだ20年前にこれからの教育が進むべき方向、ビジョンは自明でした(略)‥「探究」は、価値あることですがそれは本来、個の内部において行われるもの。
たとえそれが一つの学校で成功したとしてもその教育モデルが日本中の学校で実施され同様の成果をあげるという、ビジネスモデルにならうような発想こそ過去の思考パターンです。
(略)‥‥苦しい生活や生い立ちの中で自尊感情を覚える機会もない厳しい様々な環境下にある生徒たちが通う高校も少なからずあります。 日本中の高校で一斉に同じ「探究」モデルを行うということに無理があります、現場が戸惑うのは必然です。また小中における総合より進化したものにするための相互の情報共有の機会も十分ではありません。
人間にとって、探究するという精神的な姿勢はとても価値あることですが、学校における探究は、いまは日本中の学校で一斉に迷いなく使われていますが、 数年後、かって席巻していた「言語活動の充実」のような存在になるかもしれません。
■ 大人たちの主体性は?
学校現場にとって一過性の言葉を核に教育の方向をトップダウンの名の下に行うこと‥もしその梯子が外されるようなことがあれば、海原で行先を失いくるくる回転する小舟のさまよいにもつながります。
自分の頭で考え判断、表現することを私たち大人ができているでしょうか、それは意志や覚悟のいることです。でも、だからこそ大事なのです。
上から来たことだから‥と、まんま口から言ってしまうほど人間として怖いことはありません、いとも簡単にそうしがちな自分に気づき慌てます。
■ 自分の目で未来を見て教育を考える
教育は過去の成功事例でなく、未来を見てデザインする必要があります。もちろんいい大学に入りいい企業に入りなどというパターンは現実にはとうにありません。時代は確実にプロジェクト社会へ移行しています。
■ 一人ひとりが咲くプロジェクト
プロジェクト学習は一人ひとりが自分を活かし他者と知を感を共有し新しい知を創造するものです。未来へ広く広がり、社会、世の中を動かす新しい学び、未来教育のプラットフォームです。
いま、知を大切なものとし進化する、知性ある人間として 未来へ前向きに扉を開ける若者たちを育てる教育へ舵をきるラストチャンスと考えています。
(現在 執筆中の新刊まえがきき より)
【 e ポートフォリオーそれは知をシェアするために】
「トシって変わっているね」子どもの頃から何度も言われました、みんなと同じようにできないからです、建築作品集のようなポートフォリオが広がればが私の願いでしたので広げてきました。いまポートフォリオという言葉は広がりました「高大接続eポートフォリオ」という施策もそのきっかけかもしれません‥どんなものでも広がれば、本質や普遍性から離れたりするもの、eポートフォリオも然りです。
2001年につくったサイト[プロジェクト学習・ポートフォリオ活用]で、eポートフォリオの特徴と可能性を書いています。
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e ポートフォリオは、デジタルなので時空を超え人々が国境をこえ知をシェアできる、互いに理解しあえる。そこから新しい創造・進化が生まれる。
eポートフォリオは、完全な「元ポートフォリオ」には向かない、なぜなら学習者はネットの世界にだけ生きているわけではなくリアル、現実の中で生きているのだから。
eポートフォリオは「凝縮ポートフォリオ」に適している。
・ネットワークで「知の共有」「思考共有」そして「共有」から「進化」へ
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いま AI 時代、学習者の学習活動や地域の移動導線などがIot、デジタル化でweb上にデータ化されたとしてのそれはそれは現実のほんの一部です。まして、その時そのとき、感じたことや考えたことを逐一デジタルデータ化されることはありえませんから。
eポートフォリオの可能性は すべてを超越して知を共有するものとして、次の知を多様な状況にある人々で創造するためにこそ生きる、そこに価値をもつ
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梶原先生サイトをありがとうございます。
http://www.toshie-suzuki.net/knowledge/
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■ プロジェクト学習とはいうが、なぜポートフォリオ学習ってあまり言わないのか
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なぜプロジェクト学習というのに、ポートフォリオ学習とあまり表現しないのか?
□ ポートフォリオは役に立つし有効な「モノ」「考え方」であるが学習するほどの複雑さ、深みはない。
活動の仕方や目的により種類はあるが、それだけ。一方 プロジェクトの補完機能を補助的 存在。それだけ存在することもポートフォリオが柵にくることはない
ポートフォリオは質量を持ったモノ、物体である、しかし「情報の一元化/ゆえに知の分散が可能なモノ」
□プロジェクト学習
一方プロジェクト学習は”プロジェクト”というものはどういうものなのか学ぶ必要がある