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AI時代の教育  ‥‥‥人間にしかできないこと

★ 『 抱きしめるんです。』
☆ もし生徒さんがパニックになったらどうするの?と聞いたら、「抱きしめるんです。」って養護学校の先生は私の目を見て言ってくれました。その瞬間にその状況の映像が見えました。
自分でも制御できない混乱状態の心身‥もどかしさ‥それを先生が抱きしめて止めてくれたときの気持ち、目に見えるのではなく感情の共振で見える映像かな‥。
ずいぶん前に聞かせてもらったことだけど、何回も何回も思い出し心にグッときます。いま新刊『AI時代の教育と評価』という本を書いているからか、人間にしかできないことは何か、人が人に対座しその成長を支えるとき最重要なことって何かって考えるとき必ずこの映像が浮かびます。

 


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あと少ししたら新幹線で西に向かいます、いつも進行方向左、少しだけど海が見えるシート。ものを創造的に考えるためには無限に広がっている視界がいるから。感性こそすべてと知っているから。

未来教育の設計思想…"ハウツーの教育"との決別    鈴木敏恵

 

未来教育の設計思想…"ハウツーの教育"との決別

次々に新しい教育や手法を導入するその前にハウツーの教育との決別がいるとつよくおもう。その意味や意図を考えようとすることで普遍的な力が身につくのだから。

空港を見るといつもそこにある秩序のしくみに目が釘付けになる、どれだけのシステムや技術や戦略や段取りや情報の共有、約束ごと、無数の人間がこの何気ない全体機能を動かし命を与えているのかと、そして一人ひとりの先を読んだ気づく力がこの平穏を維持させているのかとぐっとくる。

未来教育          鈴木敏恵

 機上は心も高くなる。
視界も遥かへ広がる。
こんな感じの未来教育を実現したいんだ。

学力とか成績とか有名とか競争とかハウツウとかとはまったく違う、無限に通じる世界。世の中は広くて魅力的な林檎がたくさんで、でもすぐ足元にも小さい花があるのも見えてそこにもグッときてそれで充分心が満ちるとかそんな未来教育を叶えたいんだ。飛行機のるといつもそんな希求で胸が締め付けられる、最高にシアワセになる。























意志ある学びー未来教育

生きている実感



出雲で仕事をしてきて夜の羽田空港へ到着
感慨や感謝や生きている実感
自分がもってうまれてきたもの
自分がなりたいとおもって身につけたこと
自分が素直に尽くしているときふりそそぐもの
これらのすべてを惜しみなく目の前のナースたちや
「誰かをしあわせにしたくて生きている仕事の人」たちへ
瞬間の才とともにプレゼントしつくした帰路…ただ至福。

見えるもの見えないもの、見えるためにいるもの…洞察力と評価    鈴木敏恵

見えるもの
見えないもの、
見えるためにいるもの…







洞察力と評価

車窓から向かいのホームを見る、その向こうのささやかな住宅が目に留まる、広告が目に留まる。同じところに立っても見えるものは異なる。建築士は、家が見え、きっと薬剤師なら新しい成分のシップ薬の広告の文面を知らずうちに読むだろう。見えるのも一つの力や才だとすれば、じっさいにそこにあり、触れるものを見る力と、さわれないものを見る力には差がある気がする、さわれないものを見る力、感性や気づきという表現のほうがフィットする。このほうがすごい気がする。

教育者、子を愛する親の眼差し、リスクマネージャたちはみな、目に見えないものに気づき、そこから価値ある情報や知を見い出す、わずかな変化や動きを見逃さない。そこには共通して何かベンチマークとも言いたいものがあるのではないか。それは「こうであって欲しい」と言う願いや理想をその原型とするつよいおもい、原動力。それはいま現在を見るだけでなく、まだ見ぬ未来へ捧ぐような祈りとともにある。その人には、それが今を透して見えるからこそ、目の前の生徒や子や状況に内在している変化の兆しに気づくのではないか。

同時に「評価」というものを考えた。見えるものだけで判定するかのような行為を評価と言ってないか。願うよき未来への工夫や知恵や苦心も一切なしに「評価」だけが考えられているときさえある。願う未来を通して見ない、今、「見えるものだけ」を対象とする評価にどんな効果があるのだろう。叡智や洞察力なき評価は判定や査定と同じ意。いずれ人間でなくともできるようになるだろう。

見る対象への愛情や理想を胸に、見えないものをみようとしている深さや賢さを私は持っているだろうか。忙しさや雑踏に翻弄されず、遠く遥を仰ぐ視線を目の前の風景の向こうに見ようとしているか…。

朝、西へ向かうのぞみ17号を待つ新横浜のプラットフォームに立ち、そう胸に湧いた。5月7日8時46分 鈴木敏恵

知を希求するセンサー

 スカイビュー
西へむかうシート

「宇宙へ続くはるかなる空」と「機体の一部のビス」が一緒に視界に入る。

「宇宙にはどんな知があるのか」

「機体のこのビスにはどんな知があるのか」

私は同じように知りたい。


 敏感であることはときにかなしみとも共振してつらいときもある。敏感とは心身から目に見えないセンサーが放射している様子にちかい。その極細の針は空気中へフワッと放射している光線のようなもの。それはわずかな「知」や「理」の片鱗や瞬間の「感」を得ることができるセンサー。その先端は時空を超え直感となり私に仕事をさせてくれる。

愛する者を失った人にとどけば私の心も痛い。攻撃に打ちのめされている混乱の悲しみを感じれば、何もできない私も途方にくれる。患者へできる限り尽くすナースの魂に届けば敬意とともに私もそんなふうにできる愛と知を持ちたいと切望する。このセンサーが私に混乱や痛みを与えても私は敏感でいたい。センサーを身体中から発散させこの世の中を感じていたい。それが私にいい仕事をさせてくれるから…ありとあらゆる知や理や感を得る事を私は渇望する。 

スカイフライヤーで西へむかうシートから   鈴木敏恵

「知の果樹園」:銀の食器を磨くかのように…

 敬意



















大阪の学校へ講演に向かう早朝の駅。

まだ雑踏もざわめきもない早朝の大阪の駅。殆ど人がいない。黙々とホームの手すり、案内表示など、隅から隅へ一切手を抜かずに雑巾で丁寧に拭く掃除をしている人の仕事に見入る。

淡々と丁寧に仕事をされていました。誰が見ていなくともほんとうに丁寧に。まるで自分の家の食卓の上を拭くかのように、あるいは誇り高く銀食器を磨くかのように…。私もあんなふうに仕事をしよう、生きよう。胸にぐっときたシーンでした。あの人は私をしらないし、私も知らない出会い。でもいまの私にとても大切なことを教えてくれました。
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